自転車と私
2歳頃
三輪車に乗っている写真があります。
4歳
小平から杉並に引っ越してきた日、引越し先の家の庭に置いてある自転車を見て「うちのとおんなじだ。」と言って笑われたのを憶えています。
私より先に運ばれてきた我が家の自転車でした。
5歳頃
最初は、兄弟や母に後ろを押さえてもらって練習していました。補助輪は使ったことがありません。
覚えたての頃、ひとりで乗っていて、停めてある郵便屋さんの自転車にぶつかって倒し、怒鳴られ泣いたのを憶えています。顔自体がこわもてのおじさんでした。
7歳頃
近所の女子美大の横に坂道がありました。二人乗りで姉の後ろに乗っていたのですが、坂を下り切って左へ曲がろうとしたとき、手がすべって自転車から落ち、頭を打ちましたが無事でした。というかこうなっちゃいました。
9歳
福岡県の飯塚市に引っ越して、初めて24インチの自転車を買ってもらいました。ということは、郵便屋さんの自転車を倒した時に乗っていた自転車は、姉の26インチの自転車だったのかしら?
その自転車に乗って、よく遠い友達の家に遊びに行ったり、うちから離れた本屋に小学館の「小学3(4)年生」を買いに行ったり、庄司ダムや八木山にサイクリングに行きました。よくパンクしたブリジストンのタイヤには泣かされたものです。
10歳
友達と自転車に二人乗りしているところをパトロール中のおまわりさんに注意され、素直にひとり降りたのに、おまわりさんが見えなくなってまた二人乗りになったら、また同じおまわりさんに会ってしまって、怒られはしなかったけれど、バツが悪い思いをしました。
13歳
茨城県の大島中学校に自転車通学するために、中古の26インチの自転車を買ってもらいました。部活の帰りにライトを点けず走っていたら、おじさんに怒鳴られ、以来暗くなったらライトは必ず点けています。平磯の海岸沿いのアップダウンをサイクリングしたのはいい思い出です。
大学時代〜OL時代
通学、通勤時、自宅から大船駅まで自転車に乗っていました。何度か盗まれました。
つきみ野に来てから
黒いママチャリ
主人が買い物用に黒いママチャリを買ってくれました。ギアなしでしたが、ママチャリについているのがあるのも知りませんでした。
その自転車で子供の体育祭を見に、つきみ野から青葉区のもえぎ野中学校まで往復しました。途中の坂道を自転車を押すこともなく、ノンギアで乗り通したのは、達成感もありましたし、最近になって同じ坂道をギア付きで上って大変だと感じたときには我ながらあのときはすごかったなと感心したものです。
初めての遠乗り
2006年5月3日、連休に入ったので、次女の3段変速ギア付きの自転車(私の黒い自転車はボロくなったので、捨ててしまいました。)で境川サイクリングコースを走り、七里ガ浜海岸の小動岬まで行きました。往復5時間。海岸で数分休んだだけで、ずっとこいでいました。
サドルの高さも調節せず、変速ギアを使うことも忘れて走っていたので帰りはバテました。夕飯を作る元気も無く、すぐ食べられるものを買いに寄ったのですが、立っているのもやっとでした。
それでも、詳細は記録していないので忘れましたが、4日は電車で実家に遊びに行き、5日と6日にも2時間サイクリングしています。
翌週の日曜日にもまた境川サイクリングコースを走り、往復40kmを2時間半で行ってきましたが、そのときはサドルを調整したおかげかへっちゃらでした。
初めて実家に自転車で
同年8月、夏休みを取っている間に、初めて実家まで次女の自転車で行きました。前日に次女に実家まで原付バイクで行ってみたいと言われ、下見のつもりで出かけたのです。行きは2時間、帰りはコースを変えて2時間弱で着きました。
サイクリングにはまりだす
8月22日、次女にサイクリングに誘われ、ふたりで1時間半走ってきました。7月に、長女に通学用の自転車を買ってあげていたので、それを借りました。
以来、サイクリングの面白さにはまり、毎日のように1時間くらいのサイクリングを娘達の空いている方の自転車を借りてするようになりました。そして、8月29日、「」と心に決めるのです。サイト「キョリ測」を「地図 距離」の検索で見つけたのもこの頃です。8/22〜9/27までの記録
ここまでサイクリングするようになると、自分の自転車が欲しくなりました。自転車の次は、サイクルコンピュータ、次はデジタルカメラです。
自分のことを人に話してみるものですね。これらをどこで購入すればいいか、などの情報は、職場の人たちが親切に提供してくれました。
自転車はビバホームが品数豊富であるとか、サイクルコンピュータは南町田のモンベルで売っているとか、デジカメはヤフーオークションでいい品が安く手に入るとか。ヤフーオークションの入札、落札という初体験もできて、とても楽しかったです。愛するサイクリンググッズ(2010年12月)